a Memorandum - kellynoble

行政書士有資格者・企業法務経験者kellynobleの覚書

立場に対する基本的な認識

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上記記事を読んだ。

 

性的指向は会社の職務に全く関わりがないにもかかわらず、

その性質を持った人が会社内にいるのは「嫌だ」という人が35%ほどいるという。

 

勿論、個人的な関係において、そういった性質の人のことを好きになれないとか、

あまり関わりたくないと思うことは、自然な感情であるので問題は無い。

 

ただ、会社、職場というのは、労働契約に基づいて、

従業員は労働を会社に提供し、その対価として会社から給与という名の報酬を得ている。

その関係性のなかで、一個人の性的指向とか、どんな人がタイプが問題として挙げられることは筋違いでないか?

 

どうして、上掲のニュースのような結果になったかを考えを巡らせていると、

もしかしたらこれが元になっているのではないかと思われる事象に気付いたのである。

 

それは、職場という場が、従来の日本の雇用の特徴である「従業員は家族である」という思想・その思想の名残が元になっているからではないか。

 

そういった伝統的な日本の雇用制度や雇用に対する思想・根本的姿勢は、よろしくないものであるということでは決してない。工業製品の普及を特徴とした高度経済成長の環境下では、その雇用スタイル・思想が適切で、国民生活の向上にも寄与していたことは否定できないと考える。

ただ、そういった制度・姿勢の下にあっては、従業員は労働を提供する一労働者、という立場のみではなく、「家族」とまでは言わずとも、「仲間」であるとか、「友人」に似たような、単なる労働者以上の立場であると、思うように(冷淡な書き方をすれば「錯覚」)、社会はなっていたのではないか。

(日本人の元々持っている、お互い様、思いやりの姿勢、文化も相まっているとも思う。これらももちろんよろしくない事ではないが。)

そういった「仲間」「友人」のことは、ある程度その人の素性を知っていたいこともあるだろうし、ウマが合っているかどうかも、重要な要素であるから、

仕事のことであったとしても、単純な「好き・嫌い」という判断に大きな影響を与えているのではないだろうか。

 

そうであるから、上掲の記事で「嫌いではない(というより、どうでもよいというほうが適切か。)」という人が多数である状態にするには、

『労働者は、会社・職場に労働力を提供する者である。』

という、基本的な事を明確に認識することが必要ではないのかと考えている。