a Memorandum - kellynoble

行政書士有資格者・企業法務経験者kellynobleの覚書

gradual progress

headlines.yahoo.co.jp

 

民法733条1項
女は、前婚の解消又は取消しの日から6箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない。

これが、平等権の保障(憲14条)や婚姻関係における男女平等(憲24条2項)の規定に反するとして、違憲訴訟が提起された。

民法733条1項の趣旨は、平成7年の最高裁の判決において、
女性が再婚した後に生まれた子について、父親の推定の重複を避けることで、父子関係をめぐる紛争を未然に防ぐこと、と判断されている。
そうであるから、この民法733条1項は合理性があって憲法14条に違反しないとされていた。

ただ、父親の推定についての規定が、もう一つある。

民法772条
1項 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2項 婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

こちらも、父子関係の推定を、生物学的な父子関係を待たずに決定することで、子の福祉・利益を守る趣旨がある。(勿論、父子関係の否認・関係の不存在の訴えは一定の条件の元可能である。)
この規定を読み込んでいくと、父子関係の推定が重ならない時点は、離婚後100日を超える時点となる。そうすると、離婚後6か月(約180日)の女性に対する再婚禁止の期間について、離婚後100日を超える部分は合理性が欠けるのではないか、と考えられる説も出てきていた。
私も学生の頃(およそ10年前)、憲法の人権規定の講義で、どうも不思議に思えた部分で、かねてから再婚禁止期間か、嫡出推定の期間のどちらかが改正されたほうが、合理的であるなぁと考えていた。(女性だけでなく男性にもまた再婚禁止期間を、社会的意義のある婚姻についての熟慮を行う期間の意味をも込めて設定するのも良いのではないかとも思うが…。)

今回の最高裁判決において、離婚後100日を超える部分は違憲であると判断され、来年の通常国会民法のこの再婚禁止規定の改正が行われる。


今回の判例で感じたことは、物事は速度は遅くとも、着実に進んでいくものだということである。
焦って、ラディカルに物事を変えて、制度が根付かないというよろしくない結果を招くよりは、周囲を見回しながら、リスクや欠点を熟慮してそれらの対策を考えながら、着実に進めていくことの大事さを、より一層感じたものである。

healthy feminism

twitter.com

 

健全なフェミニズムってタイトルをつけてしまったが…、

男女問わず、結婚したくてもできない、子供を持ちたくても持てない「人」は、
既婚者かつ子持ちの「人」に比べて、
将来について安定的な見越しがたてづらく、孤立のリスクが比較的高いと感じる。
その「人」に対する、何らかの保障、セーフティーネットの必要性が高いよなぁと感じる。

その一方で、既婚者の側はどうだろう。
引用元にあるようなグループを組んで、
同じ立場、同じ価値観の元で人が集まっていても、
集まる回数が重なれば、なんとなく「気休め感」の方が大きくならないだろうか。
何らかの解決策、ソリューションを求めて集まったはずなのに、
結局「話してスッキリ満足!」で完了してしまっていないのだろうか。
それならば、引用元の「その他の女性」もグループに入れて、
突破口、ブレイクスルーを見つける試みを入れたらどうだろう。と思った。
(これは独身者にも言えることでもあるが…)

emergency

headlines.yahoo.co.jp

 

日本国憲法の中で欠けている条項である国家緊急権。

平時の統治機構では対処不能な非常な時(戦争・内乱・大規模災害等)に、国家の存立を維持するために、立憲主義を一時停止し、行政権・政府が非常措置を採ることである。

パリのテロを受けて、フランス政府は非常事態宣言を出していると報じられているが、日本で同様の事態に陥った場合、どのようになるのだろうか。

災害対策基本法が整備されていて、国家緊急権は必要としないとする考えもあるが…、

95年に発生したバイオテロ事件である、地下鉄サリン事件の場合、自衛隊災害派遣として出動・事態収拾を行っていたと知った。
地下鉄・地下鉄施設にバイオハザードのかかった物質があることが不自然であるのに、自衛隊の出動の根拠が災害派遣と…、解釈にかなり苦労があっただろうと思う。
パリの様な事態に陥った時に、どのような法の根拠があって出動させればよいのか、というのが疑問の一つ。

また、非常事態の際、収拾には迅速性が強く求められるところ、通常時のような立憲主義体制では対処が遅くなり、国民の生命財産が大きく毀損されてしまう危険性がある。

以上から、対国家規範である憲法に国家緊急権の記載を入れ、立憲主義を通じた人権保障と、行政権・政府の指揮命令による迅速な事態収拾のバランスをとるべきではないかと考える。

trade-off

 

解雇の金銭解決、労組が警戒感 「すべてカネで決着」:朝日新聞デジタル

 

見出しがなんとも挑発的というか…、誤解を招きかねない書き方であること…。

つまりは、
労働者が、使用者から言い渡された解雇処分を争っており、労働者が勝訴した場合(使用者の解雇処分が違法であって無効との判断が裁判所によってなされたということ)、
裁判所がなす、使用者に、労働者に従業員の地位を回復させる命令とは別に、解雇は無効としながらも、金銭の支払を受けた上で労働者が退職する、という手段も選択肢の一つとして検討する。
ということである。

労働者が、使用者による解雇処分が無効であることを証明する過程で、労働者は使用者の違法な事実を提示していく。

もちろん裁判は公開であるから、その違法な事実が公になり、使用者のイメージが落ちてしまうことが不可避である。

結果、労働者が解雇無効の勝訴判決を得て、元の職場への復帰ができたとしても、果たして、その勝訴した労働者がこの先ずっとその職場で勤務することが、結果について実質的な妥当性がない場合があるのではないか。

であるから、請求について、従業員の地位の回復の他に、使用者が金銭を支払うことで労働者が退職する手段についてのルール作りをした方が良いのではないか、という主張が出ている。

“実際には、判決後に解決金と引き換えに退職、という和解がなされることも多い”(森戸英幸「プレップ労働法(第4版)」弘文堂 2013)
そうで、それならば明文化すればよいのではないか、ということなのだろう。

ところで、日本の雇用スタイルは、職に就くというより、「集団・組織に就く」というもので、解雇のルールが厳しい。使用者が労働者との関係を終了することは、定年制くらいだろう。

その代わりに、どのような人を採用するのか、採用した人をどこに配属させるかについての裁量を使用者に広く認めている。そのようにして、国民の雇用保障を行ってきた。
森戸教授の著書で、エイジフリー社会(いつまでも現役で働ける社会)についてのものがある。そこでは、エイジフリー社会においては、定年制(ある一定の年齢に到達したら、どんな人でも契約が終了すること)を観念することができず、労使関係を終了させる理由として別の理由が必要になり、今までの厳格な解雇のルールを緩和する必要がある、といった内容のことを学んだ。
定年制をなくすと、組織のターンオーバーの手段がなくなり(新しい人材が入らない)、それを行うために他の解雇のルールを緩める必要が出てくる、ということなのだろう。

雇用の流動化を目指し、再チャレンジを容易にしたり、職場環境の改善をより容易にするのなら、解雇のルールを緩めて、組織に入りやすく出やすい状況にならないとバランスが取れない。
一方、解雇のルールを厳しくすれば、組織に入りにくく出にくいので、再チャレンジや、職場環境の改善が困難となる。

これらの雇用の流動性と解雇の柔軟性には相関関係があって、どちらかのいいとこどりはできないものである。

stockholders

2006年に、商法の一部現代語化と会社法部分を独立させ会社法の制定がなされた。

その時に、大きな転機となったことが、
債権者保護と株主保護のどちらをより優先させるかということ。

 

法改正を機に、債権者の保護よりも株主の保護をより手厚くした規定が増えた。
株主保護の優先は、アメリカの会社法のエッセンスから由来している。
(ちょうどその頃、堀江隆文氏や村上ファンドが『モノ言う株主』としてメディアに露出する機会が多い時期でもあった。)

 

 

株主の保護、株主の利益の最大化は、会社から委任契約を締結して業務を担当する取締役等役員の大きな役目、義務となっている。

ここで、「株主の利益の最大化」の意味、意義を正確に理解しているのか、自他共に対して疑問が浮かんだ。

2015年5月末、BSスカパーのnewsザップで、貸借対照表を片手に、ショーン村上氏が「株主の利益の最大化」の意味について説明し、そこから示唆を得た。
説明されていた意味は、以下の通りである。

”仮に会社が消滅の段階になり清算手続きに入った時、会社の財産の整理をするのだが、
先ず、その会社の債権者や会社の従業員(会社に対して給与債権を持っている)に財産を分配し、 その分配の手続きを通したあとの残りの財産を、株主が得る。
(株主は会社の所有者でもあり、債権者等に劣後する債権者とも言われている。)
そこで、「株主の利益の最大化」をすれば、おのずと債権者への分配分、そしてその会社の従業員の給与も大きくなる。
だから、株主が得られるその残りの財産を、できるだけ最大化できるように、業務執行を担当する取締役等は、職務を執行する責任を負う、という論理、考え方である。”

 

それを聞いたときに、会社法の理解が前よりも少し深くなったのだが、
果たして、上記の意味で「株主利益の最大化」を理解している方はどれだけいるのだろうか。
「株主に対する配当金のパイをただ上げるだけ」、という意味だけで「株主利益の最大化」を、と考える方って結構多いのではないだろうか。。。
「株主の利益の最大化」のための長期的視点に立った、取締役等が考案・実行するプロセスを、株主は評価できているだろうか、また評価できる能力を持っているだろうか。

いろいろと考えさせられることである。